お久しぶりです。
またもや陰鬱とした長文を読む苦行を画面の前のあなたに強いることになるのかと思うととても胸が痛みます。
1回生の田中です。
今回も例によって読後感に爽やかさのかけらもない長文を書いていたのですが、あまりにも完成度が低かったのでとりとめもない話をしようと思います。
近頃多事漕論の担当が同期であることが多く、読みながら感心させられることが多いです。
皆が「こうありたい」、「これをしたい」と色々主体的に考えて行動しているのが文面を通じて伝わってきて自分も触発されています。
ではこちらからも一つだけ。
冬モーションもテストもしんどいですよね。
その中でも皆は日々成長しようと目標や理想を追って努力をしていることでしょう。
新歓が近いですね。
私も入学したての頃を思い出しながら、後輩の力になれるような優しい先輩になれるか考えています。
さて、この中で「先輩になる」という言葉を使いました。
果たしてこの表現は正しいんでしょうか。
吉野弘さんの「I was born」という詩をご存知ですか。
ご存知でない方は是非調べてみてください。
有名なので読んだことのある人も多いと思います。
初めてこの詩を読んだ私は新しい物事の見方に驚きました。
国語の授業ではないので、後半の「私」と父とのやりとりなどをここで触れることは控えておきます。
ただ「私」の「生まれさせられる」という発想はとても新鮮でした。
今の私達も似たような状況にあるのではないでしょうか。
あくまでもこちらが「先輩になる」のではなく、私達を後輩達が「先輩にする」、私達は「先輩にさせられる」。
「こいつは何を言っているんだ」とか「ついに狂ったか」とから思っているそこのあなたはもう少しお付き合いください。
簡潔に今回の文章の要旨を紹介しますと、成長というのは自分で獲得するものであると同時に「人から与えられるもの」ではないでしょうか、と。
真面目で真っ直ぐでひたむきな皆は「自分がどうするか」、「自分がどうなりたいか」ばかり考えがちです。
もちろん素晴らしい姿勢であるとは思うのですが、少し不足があります。
とても辛くてしんどい。
理想を強く想えば想うほど、想いが強くあるからこそ、現実との相違は自分を痛めつけます。
うまくいかなくてどうしてもダメな時にこそ「自分はどうしたいか」ではなく「自分はどうしてほしいか」を考えるのです。
驚くことに、大阪市立大学ボート部はあなた一人ではないんですよ。
全員が自分の意思を持ってここにいます。
一人で頑張らない。
苦しんでいるあなたを見守っている人は絶対にいます。
弱音を吐いたら、助けを求めたら応えてくれる人は絶対にいます。
共同生活をすることで艇庫に来たら誰かいる状況が当たり前になっていて、一人じゃないことの意味を見失っている人は多いんじゃないでしょうか。
人からの支えはきっとあなたの糧となる。
あなたが支えた人はきっとほんの少しでも前へ進める。
後輩ができることで、格好をつけたがりがちな承認欲求強めのあいつらは頑張れるんじゃないかな、とか考えながら書いた文章です。
後ろ向きな私と違い、前向きな皆もたまには横や後ろを向いてみてはどうでしょうか。
仲間がいるという当たり前をもっと有効活用してみては。
話は変わりまして、今日はマネ試乗会がありました。
その中でもマネさんのエルゴ体験が印象的でした。
一生懸命に取り組む姿はとても美しかったです。
全力で一つの物事に取り組むことは楽しかったでしょうか。
隣の仲間と切磋琢磨することは刺激になったでしょうか。
応援は力になったでしょうか。
終わった後に皆で讃えあえたでしょうか。
少しでもマネージャーの皆さんが幸いを得たのならば私達も本望です。
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