こんにちは、4回生の松葉です。
自分としても最後の多事漕論ですが、2008年2月から始まった多事漕論、新生ボート部、大阪公立大学ボート部が同じ名前でブログを続けるのか分かりませんが、もし違うなら恐らく最後を迎えます。大阪公立大学ボート部のブログはできていないみたいです(マネージャーブログというものはあります)が、これからはそちらに注目ですね。
遡ったら超良いこと書いている記事が超たくさんあります。そんな最後を飾る僕ですが、正直あんま書けることないなと思っています。なんで、期待しないで下さい。笑
しかし、僕がこの3年半で何を得て、今何を思うのかを楽しみにしている誰かがいるかもしれない、何かを与えられるかもしれない、そんな淡い期待を込めて、頑張って書いていこうと思います。
先ずは先日の加古川レガッタお疲れ様でした。
新人指導をお手伝いしてくださった、元市立大、元府立大4回生、マネさん、OB・OGさんには感謝しかありません。特に、加古川に出てくれた4回生の湯浅、中岡くん、礒尾くん、はやて、新人指導を最初から最後まで、一緒にやって下さった吉山コーチ、さこださん、関選まさかの新人艇coxとして出てくれて、何回かフォアにも乗ってくれた田中みさえ、本当に頭が上がりません。
現役部員はインカレ後も引き続き支えてくれたり、一緒に頑張ってくれました。
新人達はこんな僕について来てくれました。
たくさんの同期と先輩方が応援に来てくれました。
そして加古川にレガッタ限らず、この3年半、上に挙げた方々以外にも、多くの人に支えられてきました。ボート部の活動は多大なる支援・応援があってこそです。
ボート人生で関わった全ての皆様、ここまで育ててくれた両親にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
それでは本題に入ろうと思います。
3年半を通して苦しいと思うことが多かったです。
冒頭に書けることがないと書きましたが、本当にその通りで、漕手としての3年間に語れるようなことはありません。
怪我に苦しみ、早い段階で同期には置いていかれ、コロナに苦しみ、先の見えない努力に不安を感じていました。足掻いても、同期との差は開き、入って間もない後輩にも追いつかれ、追い抜かれていきました。もちろん、試合でも大した結果を残すことも叶いませんでした。
そして最上回生になって、こんな僕ですが、副将を任されました。
主将の前野は、チームの先頭に立って皆の先を歩いて、皆を引っ張っていくようなタイプでした。
主将は本当に止まらずに前を歩いていきました。先頭で風当たりが強い、辛い中でも、結果を残し続けました。自分がやらないと示しがつかないと言い、それを体現していました。本当に尊敬できます。
僕にできることは、皆が先頭についていけるように、先頭が後ろを振り替えらずに、堂々と前を歩けるように、皆の良さを出して、皆と一緒に歩いていくことだと思い、そんな副将になろうと意気込んでいました。
しかし、現実はそう上手くいきませんでした。
どうしたら全員が熱心に、それぞれ抱いている目的に対して向き合えるのか、全員で一丸となって部活を楽しめるのか。
そんなことを考えて、幹部でのMTGや後輩とかはどう思っているのかと、積極的にコミュニケーションを取ったり、1体1で話す機会を作ったりもしたのですが、結果としてはやってる風の自己満足にしか過ぎないものでした。
結果が出せる組織。
全員が目標に向かって一丸となれるような組織。
全員が信じ合える組織。
そんな組織に変えたいという想いがあるだけでした。
自分の力不足で、最初の意気込み通りにいかず、チームに良い影響を与えることはできませんでした。何なら迷惑をかけたことの方が多かったような気がします。
結果は出ませんでしたが、漕手として怪我をしても諦めませんでした、副将としての想いを貫き行動しました、頑張ってこれたので良かったです!なんて美談にするつもりもありません。本当に反省の多いボート部人生でした。
1年の4月、僕は「最後の学生生活で何かをやり遂げたい!」、「かっこいい先輩達に憧れて、こんな先輩達になりたい!」そんな想いを携えボート部に入部を決めました。
この想いは果たせたのだろうか?この3年半に意味はあったのだろうか?何が残っているのだろうか?
漕手としても副将としても不甲斐なかった僕には、これらの問に答を持てませんでした。
そんな想いを抱えたままやってきた、約半年にわたる新人指導を加古川レガッタと同時に終えました。
このチームに何かを残そうと、漕手を4月に引退して、今までの挽回のつもりで、新人指導に心血を注ぎました。
果たして、どれぐらいのものを残せたかは僕に判断できませんが、今までと違って、確かな手応えは感じています。
加古川レガッタではもう一度、半年ぶりに漕手として試合に出ました。掲げていた目標には届かずでしたが、レース中に皆の応援の声がたくさん聞こえてきました。予選、決勝で1位でゴールして船台に戻った時、皆が喜んでくれていました。
冗談交じりなのでしょうが、僕に対して、ある同期が「ボート部人生で一番輝いてた」、ある後輩が「初めてかっこいいと思いました」と言いました。
ようやく入部当初の思いが少し果たせたように思えました。
漕手として最後の瞬間だけでも僕を、応援してくれてその結果に喜んでくれる1人がいるのなら、見てくれて何かを感じてくれる1人がいるのなら、あわよくば僕が去った後、「あの人ってこんなボート選手だったよね、こんなこと言ってたよね」とか話に挙がるのならば、それこそが僕の3年半の集大成であり、この3年半の意味であります。
美談にするつもりはないといいましたが、ボートのことやチームのことを本気で考え、本気で向き合っている時は心から熱くなりました。そして、仲間と共に楽しい時も苦しい時も共有して来て、それらの時間はとても充実していました。
そんな経験から残せたものもあると考えると、これもまたボートを続けてきた意味の答の1つとなるのかもしれません。
最後まで続けてきて良かったです。
色々な反省や伝えたいことは直接後輩達に伝えたつもりなのと、大した成功体験のない僕なので、この場で後輩に向けて伝えられることはないような気がしますが、強いて言うなら、自分で決めたことを辞めるな、てことですかね。
部活を途中で辞めないのは勿論なんですけど、人それぞれ、何かしら目的を持って、この部活に入った、或いはこれから新たにできるかもしれないと思いますが、その目的を達成することを辞めないで下さい。なぜこのボート部に入ったか、原点を忘れないで下さい
目的は与えられるものではなく、自分で約束するものです。自分で決めた約束を守ることで自信が生まれます。自信が結果を生みます、人生を充実させます、人を幸せにできます。
そして、ボートに熱中して下さい。
何かに熱中している人は素晴らしく輝いていると思います。
後輩達が輝いている姿を楽しみにしておきます。
P.S.
2022年度主将からブログ上で感謝された訳ですが、正直泣きそうでした。泣いてませんけど笑。彼のブログに書いていた入部した時の夢はいつだって忘れたことはありませんでした。自分の目的の1つでした。だからこそ、現状とその夢にギャップを感じて自分の弱さ故に、辛いと思った時もありました。しかし、部活を頑張れた動機でもありました。国体前に色々手伝っていたり、彼の全日本ペアの時の浜寺並走をしていたのも少しだけでいいから、一緒に戦ってると思いたくて、その夢をちょっとでも叶えたくてです。感謝されましたが、自分のためです。むしろ、その夢をこんなに差が開いたのに、忘れずに叶えたいと思ってくれていたことに感謝したいです。とにかく彼のお陰で部活を続けることができました。
きょうへい!ホントにありがとう!
ではでは、最後に長文失礼しました。
大阪市立大学 ボート部
2022年度 副将 松葉悠生
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